NICHIFUTU GAIKOUSHI KENKYUKAI
日本を愛した旅する画家 フェリックス・レガメー
日本に捧げた30年
株式会社セリク創業社長 クリスチャン・ポラック
第二部
K K SERIC PRESIDENT CHRISTIAN POLAK
フェリックス・レガメーとエミール・ギメは、彼らの世界一周旅行の後も決して別れること
はなかった。二人の友情は日本とアジア美術への共通の情熱で固く結ばれていた。レガメー
とギメは共同で書物を著し、イベントを開催し、パリ日仏協会のような団体の創設に関わっ
た。ギメが宗教博物館(ギメ美術館)を設立しようとしたときには、レガメーが手を貸し、同
館の運営にも参加した。しかし1899年に3カ月の間、レガメーだけが教育美術大臣の命で再び
日本へ派遣される。画家は20年ぶりの「憧れの国」に以前と変わらぬ深い感動を覚えて、フ
ランスに戻る。そして残りの人生をすべて日本に捧げることになる。
フランスへの帰路
エミール・ギメ(1836-1918)とフェリックス・レガメー(1844-1907)は日本での滞在を終えて
世界一周の旅を続けた。神戸から中国行きの船に乗り、1876年11月半ばに上海に到着。数日
後には香港を経由して広東まで移動、同地で10日ほどを過ごした。つづいてマカオを訪ね、
香港へ戻った。この短期間の中国訪問は、南部の沿岸都市だけに限られたせいもあって、二
人には不満が残った。レガメーは「光の日本」に「陰の中国」を比べている。ギメは有能な
通訳が見つからなかったために、宗教に関する掘り下げた調査をすっかりあきらめ、この分
野の文献収集に専念した。12月半ば頃、二人は気を落としたままこの英国の植民地をあとに
する。サイゴンにしばらく立ち寄ったあと、シンガポールに到着。さらにセイロンへ向かい、
1877年1月初めにこの島のゴールとコロンボを訪れた。つづいてコロマンデル海岸のツチコリ
ンで南インドに上陸、そこからマドゥライ、タンジョール、ティルチラパリ、マドラスなど
宗教的の中心地を巡って、2月の初め頃ようやくボンベイの町に辿り着く。
インドでの収穫は上々だった。ギメは観察で、レガメーは大量のクロッキーでそれぞれ充分
な成果を得る。欧州への帰途に就いた旅人はアデンとカイロに停泊し、スエズ運河を通り、
ナポリとローマに寄って数週間後マルセイユで下船する。3月末か4月初めの頃である(それぞ
れの寄港日もフランスへの到着日も詳細はまだ不明)。
パリへ向かう途中、レガメーはギメの住むリヨンで足を止め、同地域の労働者のために世界一
周旅行を語る最初の講演会を開いた。ギメの語りに合わせて手早く黒板に挿画を描いて行くレ
ガメーの手腕に聴衆は目を丸くした。
(全文が掲載になっている「日仏外交は隠されていた」が発行されましたのでご覧ください。)