最後の最後まで頑張って生きることを諦めなかった木村氏が、5月26日逝
きました。生きているうちに、いろいろと話しておきたかったので、木村氏と
はたくさんのことを話しました。そんなわけで、木村氏との間には、彼の死の
ドラマとつながりがある一番凄いエピソードがあります。というのもわたしが
霊体験に深い思い入れがあるせいかもしれませんが、本当にあった話としては
ハイライトです。木村氏とはよくお話をしましたが、大体いつも禅についての
講義のようになり、禅に不案内のわたしは必死に聞き漏らすまいと聞いていま
したが、大体わからないことが多く、禅は修業の体験をしなければ理解できな
だろうと思っていました。禅以外になると木村氏はあっけらかんとご自身のプ
ライベートなことを話され、中でも若い頃はとびっきりに美男子で、非常にも
てたことを「さりげなく、また屈託なく」話してくれました。しかしその美男度
も病気のためもあり、翳が見え始め、そのためなのか、過去にもてたことを思
い出すことが唯一の楽しみになっていたような印象もありました。ある日木村
氏が「いつ死んでもおかしくない状態」という話から、死んだ後のことまで考
えられないなどいろいろと話しているうちにわたしはふと思いついて彼に頼み
ました。
「こんなこと言ってはおかしいんですけど、気を悪くしないでね。わたしはあ
の世ってあると思っているの。で、わたしの母にもあの世があるという考え方
でいろいろと話していたんです。禅はあの世がないということだから、木村さ
んには馬鹿にされるかもしれないけど、今からお頼みしておきたいんですけど、
頼まれてくださいますか?」
「どんなこと?」
「あの世がないと思っていたのに、実際あの世があると分かった時点で、わた
しに信号を送ってくれませんか?」
「へ〜、面白い頼みだね」
彼は笑っていたのですが、すぐ「良いよ」と答えました。
「絶対よ」
「分かった」
その約束ができて以来、わたしは木村氏が死ぬ時があるのだろうか、となぜ
かしんみりしていました。木村氏の不死身を半ば信じていたので、その日が来
ないことを願っていたのです。そして5月25日の朝、4時頃わたしの携帯が
鳴っている音がして、ふと木村さんからかも、と思いガバと起きあがっていま
した。わたしは耳にジリジリと(実際の携帯の音と違っていたけど、あの世か
らだから、絶対こういう音なのだろう、と思いました)聞こえていた携帯の音
をそれと信じて、木村氏の入院している東京女子医大へ行こうと支度をしまし
た。まず池袋まで行き、JRに乗り、新大久保で降り、そこからタクシーを拾い
ました。ところが病院では家族のひと以外は面会禁止になっていて、婦長の不
審者を見る眼に射すくめられました。「呼ばれたとはどういうことですか?」
と詰め寄られ、まさか「あの世へ行ったら、合図してくれると約束したので、
会いに来た」などと本当のことを言えませんから、結局会えないで帰って来た
のです。家族の方にお話したところ、信じていただけましたが、あの音はまさ
しく木村氏の言葉だったと思います。今思えば、彼の唯一の頼みを聞かなかっ
たふりをしたことが心残りです。
「僕には、ハグしてくれる人が必要なんだ」
棺の中に入った木村氏の頬を撫でたのは、その唯一の頼みに知らんふりをし
たお詫びでした。今思えばあの生きる情熱はやはり木村氏の意地もあり、また
プライドでもあり、彼の全人生の「言葉」であったと思います。もし自分が同
じ眼にあったとしたら、生きる勇気を惜しげもなく捨て、「この死ぬチャンス
を逃すまい」とすると思えて、木村氏のその「言葉」には勝てないと思えます。
なぜなら木村氏と出会って以後それほど「死ぬのが怖くなくなり、また早く死
ぬことが神様のご褒美である」と、なおさら思うようになっていたからです。
木村氏からの影響ではなく、もって生まれた性格とか環境のせいかもしれませ
ん。今でも「死は神様の贈り物」と解釈してます。しかし、もし死ぬチャンスが
訪れた時は、木村氏の「言葉」を思い出してみることにするつもりです。