平成二年の正月は、おじの家で迎えた。親戚一同が会して、昔で新年を祝った。私は内心、今年も幸先の良いスタートがきれたと嬉しく思った。おせち料理を食べ、酒が進んだ頃、おじが「禅を一言でいってごらん」と、言った。
おじは現在、W大で英文学の教鞭をとつている。以前から、禅に関する論文を学会誌に発表しているの由。又、おじは私が禅を長期間修していることを知っていた。私は、突然の質問に、困惑した。というのも、おじは禅に間する多くの著作は読んでいるかもしれないが、公案禅をやった訳ではなかった。それでも、私は余程「日常底」と一枚にぷつけてみようかと思った。が、考え直して、ごく一般的で形式的な説明に留めた。と言うのも、禅は働きであって、言葉で説明すると概念的になる恐れがあった。
「おじさん、現在の臨済禅は、白隠禅と呼ばれるもので、白隠禅は、とりもなおさず公案を看なければ話にならないのですよ」
その返答に対して、おじはもっと別の言葉を期待していたのか、いささか不満な表情をあらわした。が、その場は、子供たちの邪魔が入ったりして中断されたしまった。その後、私はそのことがずっと気にかかっていたが、残念ながら再びおじの家を訪問する機会を与えられていなかった。
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最終更新日2004年3月24日