初夏ともなれぱ武蔵野は、鬱蒼とした樹々の緑で覆われ、ここ井ノ頭公園の林も緑蔭を落し、この頃の暖かさは気のない、ポカンとした風を運んでいた。休日には行楽客で賑わい、池の水鳥もスイスイと気持ち良さそうに泳いで、若いアベックもポートで青春を語っている。私は池の周囲に設えてある木製のベンチに腰掛け、斎座の後の休憩をとっていた。そして、池の水面に目を置き、ぬるんだ流れを見るとはなしに見ていた。ただ頭の中は、初関の公案を拈提することで一杯だった。やがて、昼座の刻を告げる板木の昔が林にコーン、コーンと響いた。私は、ベンチを離れ道場に戻った。
と、これは私が武蔵野般若道場で、初関を許された時の体験談である。
そこでまず、釈迦牟尼会般若道場の仏法を説明すると。それは遡れば禾山玄鼓老師に源泉する。禾山老師は白隠より六代目の妙心寺越渓の法を嗣いだ傑僧で、つとに般若を挙提するとともに在家仏教を重視し、かつは教学にも精しく、自力を他力、信位と証位に一線道を通じて、全仏教の統一を目指す等、きわめて独創的にして悠大な構想のもとに溌活自在な宗教活動をされた方である。
その法脈、他の系統は皆すでに絶えた中にひとり戒光−定光−光龍と嫡伝した一脈のみ現に釈迦牟尼会般若道場に伝っていた。
とくに禾山の意図した構想は、法孫の定光老師によって釈尊立教の本旨を原点として、より端的明決に開示宜命せられるとともに積極的に実践実施せられ、ここに一切の寺院宗派から独立の新鮮なる在家教団が創立されたのである。