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新河岸川の風景

 交通機関が発達していなかった頃は、人馬による陸上輸送は費川や時間がか かるので、海上・河川による水工交通が盛んに行われていた。「小江戸」と呼 ばれた埼玉県川越の繁栄は、新河岸川をとおしての、江戸との交流に負うとこ ろが多かったわけである。
 新河岸川は荒川水系の一つで、現在は狭山市内で入間川から分かれ、川越市 の北郡を辻回、荒川本流とほぼ並行して流れ、北区の岩渕水門の少し下流で隅 田川に注いでいるが、舟運当時の流路は、川越市街の東にある伊佐沼から流れ だし、川越城の近くの、もう一つの流れと合流して新河岸川となっていた。川 はいまの和光市下新倉附近で荒川に合流していたので、現在の板橋区や北区内 の一部を流れている新河岸川とは別個のものであった。川越藩主、松平信綱が 川を改修して舟着き場を開設したのは正保4年(1647)といわれる。その河岸 場は扇河岸を振り出し、江戸での終着点である浅草花川戸までに19を数え、所 要時間は18時間ほどであったようだ。舟運の全盛期は明治初年までで、大正3 年に並行して東上線が開通すると、舟運による輸送は急速に抵下していった。 さらに大正9年から昭和6年までに行われた河川工事で、流路がまっすぐに改 修されてからは、水量が保てなくなって、遂に昭和6年に舟連の終暮が降ろさ れた。
 かつては回漕問屋が軒を並ベ、高瀬舟が行さ交って活況を呈していた河岸も、 現在は往時を伝える場所はほとんど無くなり、水路も沿岸に建ち始めた住宅の 排水路と化してしまった所が多く、上福岡駅から3キロほどの福岡河岸と、養 老橋を渡った対岸の古市場河岸にわずかに当峙の面影を残すのみとなった。不 思議にこの一角だけに残っている廃屋と、人影が無い土蔵の間の小路を歩いて いると、隔絶された別世界に入り込んだようで、時折り表通りを走る車の音も 耳に入らなくなる。
 福岡河岸に数年前まで一段高く風格のある三階建ての和風家屋が朽ちかけな がらそびえていたが、いつの問にか取り壊されていた。ところがこの5月に久 し振りに訪れてみると、建物の再建が始まっていた。三階建ての家屋は、東上 線開通の生みの親である星野仙蔵が居住していた回漕問屋福田屋の屋敷である。 完成にはほど遠いが外壁に掲示板があった。
「明治30年代に離れ(三階建て)を建てた10代目星野仙蔵(安大郎)は、自 宅に剣道場を新築して福岡明信館と称し、明治35年には剣聖と呼ばれる高野佐 三郎より小野派一刀流の免許皆伝を受ける。一方、仙蔵は政治家の道を歩み、 明治37年衆議院議員に当選し、国政に参与するとともに、当時著名な実業家の 根津嘉一郎と知り合い、当地方念願の鉄道敷設計画をまとめることに成功、大 正3年の東上鉄道(現在の東武東上線)の開通に至るまで中心的な役割を果た した。

      平成5年3月埼玉県上福岡市

 仙蔵は大正6年8月に48歳の若さで他界している。自らの家業を圧迫するは ずの鉄道誘致に努力した仙蔵の思いと、新河岸川の水上交通については、斉藤 貞夫著「川越舟運]に詳しい。
 養老橋から下流を見ると、流れが左に弯曲したあたりに蓮光寺の森を望むこ とがでさる。蓮光寺は徳川家康が鷹狩りの際に立ち寄ったとされる寺で、10年 ほども前になるが、秩父附近で写生した帰りに、偶然その境内に入った。早春 の候は梅が見事で、川に面した小さな山門やその附近を描きに、その後も時々 訪れていたが、養老橋をはさんだ河岸場あたりは道幅が狭くて描く条件が良く なかったので絵の対象に考えていなかった。しかし次第に変貌する様相を見る につけ、なんとか描き残したい心境にはなっていた。今回久し振りに出掛けて みると、養老橋のたもとでほとんど雑木林と一体になってしまって、わずかに 屋根が見えることでそれとわかった橋本屋の醤油倉庫は遂に消失していたが、 橋本呉服店は、道路面と隣りの家屋が撤去されて足場が良くなり、蔵の全体も 現れていたので、淡彩で数枚描いてみた。
 聞けば間もなく河川工事が始って、川幅が広がるので山門も壊される運命に あるという。これからさらに様変りすると思うが、絵が描ける界囲気は残って いてほしいものだ。新河岸川は、養老橋の少し上流で伊佐沼からの水が合流し てくるので、汚れが少し薄められている。今度も橋の真下に大さな黒い鯉が泳 ぐのが透見でさた。
 終わりに、ご参考までに附記しておくが、この場所へは川越街道経由で関越 高速所沢入口と反対方向の浦和方面に走り、富士有料道路へ入って上福岡で降 りる。私は川越方面に行った折りには時々、川越商工会議所隣りの駐車場に車 を止めて、すぐそばの商店街アーウードを入って右側の“小川菊”でうなぎを 食べるが、この店は味、値段ともに推奨に値すると思う。




須賀功個展
          
       




 
 
 
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最終更新日2003年4月2日