「将軍お倉」高杜 一榮       

  お倉は、その聡明さと華やかな美貌を見込まれ、幕府のフランス軍事顧問団 団長シャノワンヌ大尉の側妻にと選ばれ、フランス語教育を受ける。   幕府は頻発する異人殺傷事件の賠償金問題で、窮地に立たされ、そのため円 滑材にと、女性を異人接待用に訓練した。その女性たちは後に「御用らしゃめ ん」という名で呼ばれるようになる。  軍事顧問団到着後、お倉はシャノワン ヌ大尉と起居をともにする生活に慣れ、秘書や通訳の役割も果たすようになる。 弱体化の幕府にとり、幕末日本は難題が山積みしていた。一部の幕臣しか世界 情勢を理解せず、国の防衛も、全く無防備に近い。そのため大尉の苦労は計り 知れなかった。着任早々武器購入の指導から武器国内生産へと指導して行きな がら、この国が武器を握り、将来国際的に立ち上がれば、強大国になれると見 通す。   シャノワンヌ大尉の片腕として働くお倉に、人々は「将軍お倉」の名をつけ た。上様から下賜された女という意味があり、最初とまどっていた大尉であっ たが、お倉の聡明さ、機知に飛んだ話しぶりや優しさにほだされてゆく。周囲 の冷たい視線に耐えるお倉にとって、唯一の拠り所が大尉との暮らしであった。 幕府の軍事改革に腐心する大尉の真面目な姿に打たれ、尊敬が愛に変わって行 く。しかし、時代の流れは幕府の消滅へと向かう。軍事顧問団も解散せざるを えなくなり、シャノワンヌとお倉の別離の時がやってくる。  幕末を背景に捨 て身となって働いた女性の例は唐人お吉や岩亀楼の遊女などがあるが、歴史の波 に埋もれて消えていった女性もいた。お倉は幕府の極秘事項を知っていた数少な い女性の一人で、時代の波に翻弄されながらも、国の捨て石となり逞しく生きた 女性である。御用らしゃめんにはロッシュ公使のお富、横須賀製鉄所所長のヴェ ルニのお浅、将軍慶喜の軍事顧問プレアン少佐のお政など、数多くいるが、中で もお倉は美貌と才気と語学力で知られていた。  戦後、数々の女性が国際的な舞 台で活躍するが、日本で最初のバイリンガルとも言えるのが「将軍お倉」である。

 

     現代につながる日本女性の性
                             志茂田景樹
「将軍お倉」を一気に読んで、日本の男性は、同胞の女性の優秀なことと、 そ の傷みを、もっともっと知る必要がある、と思った。鎖国化の日本では、儒 教を倫理の規範にしたために、武士階級の女性は、男尊女卑思想にもとづいた” 女らしさ”をおしつけられることになった。しかし、その制約のなかで、きび しくしつけられたので、国漢の素養はもとより、向学心が強かれば、幅広い知 識を吸収することも可能だった。  お倉も、そんな女のひとりだったのだろう。 たまたま美貌と才気と語学力という、才色、それに知という三兼備の女性であっ たために、幕末という大きな時代の変り目が要求して、数奇な運命に翻弄され る身の上になった。お倉のすごいところは、意識の低い人たちの侮蔑の視線に さらされながらも、その悲しみを深い心の底に沈めて、シャノワンヌ大尉に誠 心誠意つくすことにより、人を愛することの貴さを知ったことである。ぼくは 二十一世紀を“心おこしの時代”と見ているが、お倉のような女性がどんどん 活躍するという予感を抱えている。とにかく、高杜さんは、そのすばらしい洞 察力を駆使して、幕末から現代につながる日本女性の性をくっきりと摘出して くれた。

 

     「将軍お倉」が生まれるまで
                             クリスチャン・ポラック

高杜さんにフランス語の資料を渡すようになったのは、平成四年頃であった。 その時点で渡していたのは上海のフランス租界の史料で、それが「上海刺青人 形」など上海を背景にした作品になったようだ。その後幕末の日仏関係の史料 を欲しいと言われたのでフランス軍事顧問団のシャノワンヌ大尉やロッシュ公 使などの史料を渡したのだが、それが見事に「将軍お倉」となった。この作品 の最初の生原稿を見せてもらったのは、平成六年頃になるが、今回出版した 「将軍お倉」とはかなり違っていた。最初の原稿から何回も直したようだ。彼 女は「彫刻を創るように、削ったり足したりして小説を書いています」と言っ たことがあるが、まさに粘土をナイフで形創って行くような印象は原稿の端々 にうかがえる。フランスの原文史料の重要なところだけを取って、後は彼女の 想像力でフィクションを追加しているのを感じる。歴史は空いたところをジク ソーパズルのようにうめて行かなければ理解できない部分があるが、そのパズ ルの方法も人間を見据えたものでなければならないだろう。彼女の描く時代小 説は娯楽性もあり、人間味溢れて、なかなか面白い。幕末の日仏関係を背景に した小説の種は無数にあり、これからも同じテーマの作品をたくさん書き続け ることを期待している。また彼女は最近日仏外交史研究会という名前の会を造 ったという。幕末に来日して日本の近代化に貢献したフランス人たちの顕彰の 意味を込めてという趣旨だというのでこれからも大いに期待したい。


最終更新日2008年4月7日