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 先祖の「日本むかしばなし」

 栃木市は明治の頃までは栄えた町であり、東北地方の物資を江戸に送るため の通り道になっていた。海上からの輸送はなかなか難儀し、利根川と江戸川を つなげる工事が終わってからは、銚子から利根川に入って逆行し、千葉県の先 端に位置する関宿(せきやど)から反転して江戸川に抜けられるようになり、 東北の物資が比較的容易に輸送されるに至ったといわれている。
 町より少し上流の豊富な湧き水を源流として栃木市の中心を流れる“うずま 川”は、下流の利根川に続いていて、こちらを通しても江戸との交流ができた。 栃木の町が栄えたのは丁度工事が完了してからで、それ以後東北の物産の集散 地として繁栄を誇った。
 明治時代になり、県庁も一時期栃木に置かれた。しかし自由民権思想を持つ 当時の町の知識人が、明治政府に睨まれ、なおかつ時の県令の三島通庸に嫌わ れたこともあり、その後県庁は宇都宮に移され、東北線も栃木を通らなかった という内幕劇もある。そのため時代に取り残された町という印象は拭えず、い つ訪れても十年一日のごとく変わらない佇まいのままである。
 わたしの本家は栃木市で歯科を開業している。いいつたえによれば、先祖は 関宿藩の武士で、殿様の先払いをしていた。ところがある日、行列の前を犬が 横切った。ご先祖は忠実な家来であったため、犬を「無礼だ」と切り捨てた。 結局それが元で、お役ご免となり、茶壷だけをいただいて、失業した。そのた め現在でも須賀家には「絶対犬は飼ってはならない」という家訓が厳然として 遺っている。わたしの家もそのため未だに犬は飼っていない。それから利根川 から“うずま川”へとさかのぼり、栃木の町の在に住み着き、土地の測量や代 書屋みたいなことをやっていたという。しかしこれもお寺が焼け、過去帳が焼 失したために、詳しい事情は分からない。
 しかし数代前の萬吉さんという人が大変器用な人物だったといわれている。 描いた日本画も遺っているが、なかなか見事な作品である。花火も作ったとい われている。この萬吉さんには狐に助けられた話があり、お礼のためにお稲荷 さんが奉られている。栃木の初田というところに、その不相応なほど立派なお 稲荷さんが今でもある。日本昔噺的な雰囲気のする逸話だが、実際に初午の頃 は近隣の人々が集まり、屋台などが出て大層賑やかに奉り、お稲荷信仰に熱心 であったようだ。
 この人物がどうやら本家の歯科のパイオニア的人物で、その当時から入れ歯 を作っていたのではないか、と推測される。その後栃木に移り、歯科医を開業、 現在五代目が診療している。五代目の家を訪問すると、例の茶壷、日本画、柘 植の木の入れ歯、昔の料金表などがある。




須賀功 個展         
       




 
 
 


最終更新日2003年4月2日